ことわざ
先日神戸に出かけてバスに乗ったところ若い人に席をゆずられることになった。電車などでも空席があればべつだけど、できるだけ入り口のところで立つことにしている。長時間でもないし、足腰のためにもそのほうがいい。でも席をゆずられてみるとその親切が身にしみて、なぜか世のなかがパッと明るくなるようでもある。
いくら強がっていても、だれしも年齢がすすむと体力のおとろえとともに、ちょっとした差しさわりでも大きなダメージをうける。あんのじょう、もうひとりの人はカゼをひいてもう2日も寝こんでいる。病院からもらってきたクスリを飲んでいるが、あまり効き目がないようでどうすることもできない。
なにしろ、リハビリづけで休むひまなく毎日出かけるので、疲れもたまっているのだろう。自由に歩くためには足のリハビリは欠かせないけど、身体そのものが弱ってしまっては、なんのためのつらいリハビリか見当ちがいもはなはだしい。こんなのを「産湯とともに赤子をながす」のようなことわざをいうのではないか。
それで食欲もなくて果物だったら食べてみたいというので、買いものに行くことになった。ウオーキングをかねてできるだけ遠くのスーパーへというか、そちらのほうが安いからでもある。桃のほかにスモモがおいしそうだったので1パック買ったのが失敗だった。熟しすぎてほとんど腐っていたのである。
その前には父の日で子どもからケーキをもらったのである。半分だけ食べてあとの楽しみに残しておいたのだった。ところが次に食べようとすると、なんとアリがケーキが見えないほどに群がっていて、惜しいことに捨てるほかなかったのである。ケーキもさりながら、せっかく贈ってくれた人の気持ちを台なしにしてしまったことがなさけない。
そういえば数日まえから、テーブルのうえにアリを1、2匹見かけることがあって、そのつど押しつぶして気にしていなかったのである。そのときには掃除機もかけたし、目で見たかぎりアリの気配はなかったのに。あとの祭りではあるが、さっそくアリを退治するという薬剤のようなものを部屋のすみに置くことになった。
食べものをムダにしてしまったなどよくあることだし、日ごろなにかとうっかりやぼんやりで手ぬかりのこともあり、そのたびにがっかりすることがたびたびある。でもそうしたことも老化現象の一つでもあり、次からはまた気をとりなおして注意してととりかかればいいことでもある。
というのもまわりには、急に胸が苦しくなったり意識がなくなったりと、いずれも肺炎で救急車で病院に運ばれたという人の話を見聞きすることがある。そんなことに比べれば、たかだか損な買いものをしたとか、ケーキを食べそこなったことなど、たいしたことではないし、これも「木を見て森を見ず」ということにならないとはかぎらない。
忘れてる空腹感のありがたさ

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