ことばのあや
普段何気なく使っていることばも、よく考えるとおかしい言い方であったり、まちがった使い方をしていることが少なくない。人に教えられて初めて気づくこともある。
数字の読み方にしても二とおりも三とおりもあって、そのときどきで正しい使い方があるようだ。たとえば場合によっては、2組をふた組と言ったり、4をよんと読んで、まちがっていると指摘されることもある。
それで気がつくのだけど、"に"と言うより"ふた"のほうが、"し"というより"よん"のほうが発音がしやすいのだ。弁解するわけではないけど、大阪弁だとそうなる。
ことばの使いかたでいえば、だんなが奥さんに家事のことで、手伝ってあげようか、と言ったばかりに夫婦の関係が険悪になったという話がある。手伝おうか、だったらよかったのだ。
気になるといえば、最近の親は自分の子どもに、いてあげたい、という言いかたをする。してやりたいでは、やはり高圧的に聞こえるのだろうか。
もう一つは、思います、の乱用がある。したいと思います、と言ったりする。少し先のまだ未確定のことであるならともかく、直前の実行の段階で思いますには引っかかる。
というのも先日、ある講演会に出席して話を聞いた。そのなかで、ことばへのこだわり、特に重ねことばについて触れられていた。分かりやすくいえば、いちばんベストとか、頭痛が痛いとか。
で、生命といのちということについて、二つは同義でなくちがうことばだという。生命という単なる肉体と、人の本質としての深い意味でのいのちだろうか。
人の最後はそれまでの人生で築いてきたものが、すべてはげ落ちむき出しになる。つまりそこまでが生命ということになる。でも、いのちはそれで終わらない、生き続けるのだ。そんな話だった。
パジャマだけあれば困らない

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